ひとを信じるとゆうコトに少し躊躇してしまったとき、

ひとを信じぬくことに少しコワさを感じてしまったとき、

こうゆうときは、きっと『裏切り』とゆう念がアタマのどこかにあるんやろうと思う。

誰でも、相手を信じるとゆうのホンマはこわくてこわくて仕方ない。
うちもそう。

でも、結果を恐れていたらなにも始まらない。

まぁ、『信じる・信じない』だの言ってる時点で、
もうすでに『疑い』の念は少なからずあるとゆうことになるんやろうけど…。

うちも前は
『どうせ信じても裏切られるかもしれんのんやから、最初から信じないほうがいい。信じるだけムダやな』
と、信じるコトから逃げていた。

『どうせ〜なんだから…』って。

でも、『結果』ばかり考えてるから、
そこへ飛び込んでいけない自分に気づいた。

うちの好きなコトバの1つに

【 人の足を止めるのは絶望ではなく諦め
   人の足を進めるのは希望ではなく意思 】

とゆうのがある。

『信じる』とゆうことへ飛びこんでいけない足を止めているのは諦め。
『どうせ〜だろう。やらなくたってわかる』
とゆう諦め。

ずっと前にこんなコトバも聞いたこともある。

【 人に好かれたいなら 
   人を信じよう

  人に信じられたいなら
   人を信じよう

  俺はお前に信じてほしいから
   俺はお前を信じる 】

『相手が〜してくれない』と、相手に求めるばかりやなくって、
“自分から〜してみよう”とゆう意味が含まれてるんやないかと思う。

やから、うちも結果ばかり考えずに、まずは『信じるフィールド』に飛びこんでみようと思う。

言いたいコトがうまく文章にまとめられんかったな…。

今日の日記はこれにて♪

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